2006年08月18日

美輪明宏さんってどんな人?

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美輪明宏さんプロフィール

美輪明宏(みわ あきひろ 本名 丸山明宏 幼名 臣吾(しんご)、1935年5月15日-)。
日本の歌手、俳優、演出家。
長崎県長崎市出身。
海星中学を経て国立音楽大学付属高校中退。
愛称マルさん。

小学生の頃から声楽とピアノを習い、国立音大付属高校を中退してプロ歌手として、シャンソン、タンゴ、ラテン、ジャズを歌い、銀巴里や日劇民放に出演する。

1957年“メケメケ”で衝撃的に世の中に知られる。

日本におけるシンガー・ソング・ライターの元祖として“ヨイトマケの唄”他数々の歌を作るレパートリーも幅広く、シャンソン、オリジナル曲の他、日本の抒情歌、歌謡曲などと組み合わせたプログラムで好評を得る。

演劇活動も華々しく、その才能を世界的に知られた寺山修司・三島由紀夫と組んで主演した“毛皮のマリー”“黒蜥蜴”の大ヒットは伝説となり、その後も熱烈な要望により再演している。主演のみならず、演出・音楽・美術・照明・衣裳と幅広く活躍。


オーラの泉国分太一さんと江原啓之さんと一緒に出演されていましたので、知っている人がほとんどですよね。


美輪明宏さんは最初は霊を信じなかったそうです。しかしそれ以前にも人の後ろを通っただけで、その人の考えていることが分かるときがあったとか。

まったく別の場所で2人の霊能力者にあなたは天草四郎の生まれ変わりだと言われたことがきっかけで信じるようになったそうです。


長崎のカフェや金貸しを営む裕福な家庭に生まれましたが、10歳のときに原子爆弾に被爆されたそうです。

これを知らない人は多いでしょう。偉そうなことを言っていますが実は私も知りませんでした(;´▽`A``


終戦後上京し、国立音楽大学附属高校に通うも中退。中退後は経済的に困って、新宿駅の地下でホームレスをしたこともあるそうです。

大変な苦労をされたんですね。

17歳のとき「丸山明宏」の名で歌手デビュー。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」と専属契約する。銀巴里から人気歌手が引き抜かれ、閑古鳥が鳴いたときには、髪の毛から靴まで全身紫色に染め上げて銀座を歌い歩き、店の広告塔となる。このとき「銀座に紫のお化けが出る」と話題になったとのそうです。


22歳のとき「メケメケ」でレコードデビュー。マスコミに「神武以来の美少年」と取り上げられて全国的に名が知られるようになりました。


その後、苦学を重ね工事現場の監督となった友人をモデルに作った「ヨイトマケの唄」を発表。この歌は、トレードマークであった派手な衣装やメイクを捨て、絣の着物一枚で唄われました。


それにより今までのファンが離れてしまい、再び苦難の日々となります。それでも自分の信念を曲げずに唄い通し、30歳の時にワイドショーで披露したのをきっかけに広く全国から共感を呼び、レコード発売にこぎつけました。


しかし、歌詞にある「土方(どかた)」という言葉が差別に当たるとされ、放送禁止曲に指定されてしまいます。(現在は解除され普通に使用されていますね)


美輪明宏さんはとにかく苦労の多かった人のようですね。


その後は、銀巴里で交流を持った三島由紀夫や寺山修司の舞台に参加するようになり、「黒蜥蜴」や「毛皮のマリー」などに主演。現在も、毎年春から夏にかけて、自身がセルフプロデュースする舞台公演を続けています。


舞台はものすごく派手で、華やかです。


36歳の時に芸名を「美輪明宏」に改名。一時期、原爆の放射能の後遺症で休養を余儀なくされた事もありましたが、現在は歌手、俳優、演出家、作家などマルチタレントとして活動しておられます。

美輪明宏さんの手がける作品は、音楽、舞台などを問わず全て「愛」がテーマになっています。


オーラの泉は終わってしまいましたが今でも大活躍中の美輪明宏さん。

これからもますます目が離せません!

オーラの泉も復活を期待!!


今日も読んでくださってありがとうございます。応援よろしくお願いします♪
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